眠れない話2008-01-24 Thu 22:40
今日は少しだけ、死について考えます。
人生も40年を過ぎると、色々な意味でマンネリ化してくる。 仕事は適当な刺激と報酬を与えてくれ、家族とも楽しくやっている。 一見すると平々凡々、世間並みに落ち着いた人生を送っている。 しかし、日常の中で「俺今何やってるんだ?」とか、 「これは夢か?現実か?なんて思うときがあります」 寝る前なんかでも、自分は死んだ後どうなるんだろうかと考えて、 「死にたく無いなぁ」とか「死んだらどうなるんだろう」とか思っています。 何事にも寿命があって、そのタイムスケールが虫や人間、大地で違うように 人間も生まれた以上、必ず死にます。 人類は今のままでは必ず滅亡するし、地球だって太陽が膨張するときに ジュっといっておしまい。その太陽も爆発しておしまいだし。 宇宙だって大爆発して薄いガスになるらしい。 偉そうなこと言っていても、どんな人間だって宇宙の歴史では 新陳代謝をものすごい早さでするがごとく、生まれては死にの繰り返しだ。 こうなると、時間のスケールは意味をなさない。そこには相対的な差だけがある。 死んだらおしまい。目覚めない夢と一緒。 毎日寝ているときだって、意識がない状態はある意味小さな死だろう。 自分が寝られない思考のパターンには、死の他に2つあって 一つは宇宙の果てというのは一つの細胞で、その細胞がまた人間を構成していて その世界の宇宙もまた大きな細胞の一つであるという考え。 無限に大きくなる考え。 もう一つは、自分の細胞の一つ一つが宇宙で、 その中に地球や人間がいて、その細胞の中にも宇宙があるという考え。 これは無限に小さくなる考え。 もうこうなると、自分の大きさや宇宙の大きは相対的な大きさでしかなく、 絶対的な大きさは、細胞と宇宙という両極端においても意味をなさない。 それと死がどう関連するかは分からないけれど、 この思考には死とか、神とかいう根本に繋がっている気がする。 こんな事考えて、先人達は発狂したのだろうか? 我思うが故に我あり、の意味が分かるような気がする。 それでも時に思う、 今の人生は、もしかしたら夢かもしれない。 壮大な夢、大人生物語の夢を見ている。 でも目覚めたら、僕は午後の教室でうたた寝をしていただけかもしれない。 これがふさわしいかは、何とも言えません。
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