しらとし日記

日々の生活を覚え書きのように綴ります。自分のために書いてます。

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眠れない話

今日は少しだけ、死について考えます。

人生も40年を過ぎると、色々な意味でマンネリ化してくる。
仕事は適当な刺激と報酬を与えてくれ、家族とも楽しくやっている。
一見すると平々凡々、世間並みに落ち着いた人生を送っている。

しかし、日常の中で「俺今何やってるんだ?」とか、
「これは夢か?現実か?なんて思うときがあります」

寝る前なんかでも、自分は死んだ後どうなるんだろうかと考えて、
「死にたく無いなぁ」とか「死んだらどうなるんだろう」とか思っています。

何事にも寿命があって、そのタイムスケールが虫や人間、大地で違うように
人間も生まれた以上、必ず死にます。

人類は今のままでは必ず滅亡するし、地球だって太陽が膨張するときに
ジュっといっておしまい。その太陽も爆発しておしまいだし。
宇宙だって大爆発して薄いガスになるらしい。

偉そうなこと言っていても、どんな人間だって宇宙の歴史では
新陳代謝をものすごい早さでするがごとく、生まれては死にの繰り返しだ。
こうなると、時間のスケールは意味をなさない。そこには相対的な差だけがある。

死んだらおしまい。目覚めない夢と一緒。
毎日寝ているときだって、意識がない状態はある意味小さな死だろう。

自分が寝られない思考のパターンには、死の他に2つあって

一つは宇宙の果てというのは一つの細胞で、その細胞がまた人間を構成していて
その世界の宇宙もまた大きな細胞の一つであるという考え。
無限に大きくなる考え。

もう一つは、自分の細胞の一つ一つが宇宙で、
その中に地球や人間がいて、その細胞の中にも宇宙があるという考え。
これは無限に小さくなる考え。

もうこうなると、自分の大きさや宇宙の大きは相対的な大きさでしかなく、
絶対的な大きさは、細胞と宇宙という両極端においても意味をなさない。

それと死がどう関連するかは分からないけれど、
この思考には死とか、神とかいう根本に繋がっている気がする。

こんな事考えて、先人達は発狂したのだろうか?

我思うが故に我あり、の意味が分かるような気がする。

それでも時に思う、
今の人生は、もしかしたら夢かもしれない。
壮大な夢、大人生物語の夢を見ている。

でも目覚めたら、僕は午後の教室でうたた寝をしていただけかもしれない。



これがふさわしいかは、何とも言えません。
人生の目的が見つかる魔法の杖人生の目的が見つかる魔法の杖
(2004/07/02)
西田 文郎

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